学園女神(がくえんめがみ) |
海に面する街、朝雛市。
その海とは反対側には小さな山がチョコン、と、座っている。その山には街を見下ろすように、いくつかの建物が白い色をさらしていた。
創立100年をこえる朝雛市が誇る学校、朝雛高校。それが、その建物の名前だ。しかし、地元の人には朝雛高校、と呼ばれる以外に、別の呼び名がある。それは、この街にはこの高校卒業者が多くいることも関係しているのだろう。
その呼び名とは。
「学園女神」
と。
朝の通勤ラッシュはつらい。特に雨の日には。
ぼんやりと窓の外を見つつも、真帆の目は焦点が合ってない。教室は湿った空気と、どんよりとした光が混ざり合って、とてもやる気が出る状態ではない。周りの机にはまだ、ほとんど人がいない。雨の日だから早めに学校に行こう!と思った人は少ないようだ。特に、真帆のようにいつもバスで高校に来ている生徒にとって、雨が降ると増える普段自転車通学生がとても邪魔でたまらない。
(雨が降っても自転車でこればいいのに!)
バスの混雑はいつもよりひどくなること請け合いだ。なので、真帆は雨の日はいつもより早いバスに乗って学校に来る。
窓の外の水滴の向こう側、バス停から下りて歩いてくる生徒を数えつつ、真帆は思う。
(ヒマだな……)
正直、早く来てもやることは無い。
予習はちゃんとやってきてあるし。テスト勉強なんて時期でもない。部活は放課後だし。読みたい本も無いし。
(あ、そうか)
真帆は思いついた。
本を借りに行けばいいんだ。図書館開いているかな?
真帆は勢いよく机から立ち上がった。意外と大きな音が教室に響く。少ない人数がこっちを振り向き、また、机にかじりついたり、寝たりしている。その視線に少したじろぎながら、
(図書館の先生、いるかな……?)
音を立てないように、真帆は教室を飛び出した。
階段をゆっくり降り、1階へ。それから連絡通路でつながっている別館の図書館に足を進める。
が。
「あれ」
図書館の窓は明るくない。分厚いカーテンが人を拒否している。どうやら人がいないようだ。当然といえば当然。司書の先生が来る時間には少し早い。
「あーあ、残念」
図書館の扉の前で、真帆は息を吐いた。そして、念のため、と言わんばかりに、図書館の扉を引いてみた。
「……?」
予想に反して、扉は動いた。戸締りをし忘れた?
(まさかね)
首を傾げつつも、真帆はゆっくりと中に体を滑り込ませた。
建物の中は静かで、人の気配は感じられない。真帆はゆっくりと本棚の間を歩く。
ぺたぺたぺた。
土足禁止の図書館備え付けのスリッパの音が、妙に辺りに響く。
図書館玄関には脱いだ靴が無かった。ここには、ほんとに真帆一人だけのようだ。何で鍵が開いていたのかは不明だが、これ幸いと、
(ええっと、新刊の本は……?)
目がお目当ての本を探す。人気の本はすぐに借りられて、なかなか自分の手元に来ない。下手したら一ヶ月以上手元に来ない。人が借りるよりも早く借りてしまわないと。
と。
ぺたんぺたんぺたん……
自分のものではない足音が聞こえる。真帆は身を固め、音を聞く。
ぺたんぺたんぺたん……
その音は1階フロアの奥にある螺旋階段から聞こえてきた。どうやら階段を下りているらしい。
(2階には、自習室があるんだよね……?)
通称、女神の間。その部屋に女神像があることからそうよばれている。朝から勉強でもしていた人がいて、今、そこから出てきたのだろうか。
(でも、靴が無いって、おかしいよね?)
ぺたんぺたんぺたん……
足音の主は階段を降りた。そして、
「!」
こっちを見る。相手は驚いていた。
「芹沢、さん?」
名前を呼ばれて、真帆はぎくりとする。下りてきた人物は、
「え、っと、大時君?」
大時の手には靴。そうか、なるほど、靴を持って二階に行ってたのね。真帆は納得しかけて。
「大時君、なんで2階にいたの?しかも靴を持って?」
靴を持って入るとは、泥棒じゃあるまいし。
「芹沢さんには関係ないよ」
大時はそう無表情で答えた。
「芹沢さんはなんで?」
慌てた様子もなく質問をする。
「あ、いや、本でも借りようかなって……」
「そう」
大時はまた無表情で答える。
「先生が来る前に早くここをでたほうがいい」
大時のセリフに真帆は驚いた。
「え?何で?」
「いいから」
「???????」
半ば強引な大時の視線に真帆は首を傾げつつ、うなずいた。
「わかった、出ます……」
そういうや否や、真帆は回れ右をして急ぎ足で図書館から脱出した。
大時に追い立てられるように。
(なんだったんだろ?)
教室にもどりながら彼女は考える。学校は生徒が登校し、にぎやかになってきていた。
「鍵をかけ忘れたのか…?それとも……?」
逃げるように去った真帆の背に、大時は考えるような視線を漂わせた。
「びっくりしたー」
真帆は小さく呟いて、教室の席に座る。そろそろ教室の席もうまってきた。
「おはよん真帆!」
「あ、おはよー美佐」
ツインテールを振り乱し、美佐が真帆の机にやってきた。どんな天気でも美佐はテンションが高い。
「どこ行ってきたの?部活?真帆がいなくて寂しかったよー」
美佐が登校したとき、真帆の席にはバックはあるが、人はいない。今までこういうことはなかった。美佐は興味津々な様子で尋ねる。真帆は眉にしわを寄せながら答えた。
「いや、ちょっと図書館」
「ふーんさすがわ本の虫!」
「別に虫じゃないって……」
真帆は苦笑した。しかし美佐はぐっとこぶしに力を入れ、
「でも、それだけかよいつめてるってことは、虫じゃん、虫!わたしなんてまったく読まないから、あーあ」
大げさにため息を吐いた。彼女のテンションが一気に下がる。いつもながら、このテンションを自在に操る術はすごい。
「あはははは……美佐のほうがスポーツ得意じゃん」
「バスケだけ、得意なのよ。この前、部の友人とボーリングにいったら、ガーターでないことのほうが少なかったわー」
ボールはボールでも、鉄球はだめだった、と、美佐は笑って言った。ボーリングもバスケットボールで倒すなら、ストライクいっぱい出すのにね、とも。
その後二人は今日の授業について話し、
「大時君?」
真帆が美佐に「大時君ってどんな人?」と、唐突に聞いたことについて、彼女はとてもびっくりしたようだった。
「真帆が、男子生徒のことをピンポイントで聞くなんて……。春?」
「いや、今は梅雨だけど」
「ふーん……まあ、いいけど」
にやにやしながら、美佐はひそひそと話しを始めた。
「学園一番のかっこいい男だとわたしは見た」
「……それは、美佐の私見でしょ」
「いえいえ、真帆さん、4月にはいってから、大時氏に告った女性はいく知れず。同級生年上年下他校問わず」
「……へー」
(うわさって、とりとめも無いしね……)
「信じてないでしょ?ま、告った……辺りはどうかと思うけれど。一匹狼風の大時君が好きって子は多いと見た!」
「……へー」
(そうなのか)
そこで予鈴がなり、美佐は真帆の机から離れていった。
「真帆、何かあったら遠慮なくわたしに相談してね!」
そう言い残して。
(別にそういうのじゃないんだけれども……)
真帆は苦笑で返した。
それにしても、さっきの図書館のこと(大時のこと)、なんだか気になってしまう。
(ふむ。お昼に先生のところに行って聞いてみよう……)
真帆はしかし、どういう風に先生に聞こうか少し困ってしまった。
昼休み。
「先生!」
真帆は図書館に駆け込んだ。ご飯を食べる前に来て正解だった。
「あら、芹沢さん、こんにちは」
にこりと、司書の先生がカウンターから微笑む。50過ぎのふっくらとした体型の、一見して優しそうな、図書館の主とも言われる先生と真帆は仲が良い。
「今日も元気ねー」
のんびりと先生は答える。
「先生!大時君って知ってますか?」
突然の真帆の直球な言葉に、先生は?と一瞬考え、
「あー大時君ね。たまに来る、あの、かっこいい子でしょ?」
先生は笑みをいっそう深くした。
(先生、孫もいるんでしょ……)
真帆は心の中でツッコミつつ、
「大時君は、いつもここで何してますか?」
「何って」
先生は真帆の質問を聞いて首を傾げる。
「図書館だから、本を借りたり読んだり勉強したり」
(確かに……)
そりゃそうだ。先生だって、そうとしか言いようが無いだろう。
「大時君がどうかしたの?」
にっこりと先生が尋ねてくる。
「え、いや」
真帆は一瞬目を泳がせ、
「今朝、図書館の中で先生が来る前に、大時君と会ったんです」
「わたしが来る前に、ここで?」
「はい」
先生はまたしても首をかしげたが、こんどのかしげる理由は、さっきとは違う意味だった。
「何時ごろ?」
「八時前です…」
「その時間は、図書館、鍵がかかってるわよ」
「え?」
真帆は先生の言葉に耳を疑った。
「この図書館の開館時間は一時間目から放課後6時まで。8時前にはあけないよ」
「……?あれ?でも今朝」
「開いてたの?わたしがちゃんと鍵を開けたよ。8時過ぎに」
「??????あれあれあれ……?」
「なに?勉強のし過ぎで白夢中でもみたんかい?それとも寝ぼけてた?」
「……?」
その後、先生にしつこく聞いてみたが、「無理やり開けたら警報がなるよ」といわれて、納得した。こじ開けたら警備員が飛んでくる、のこと。
「なんだったんだろ……」
あれは夢じゃないって言うのに。図書館の鍵は職員室でしっかり管理されているので、生徒が勝手に持っていけない。開館時間は司書の先生が管理しているから、鍵のコピーなんて作れるわけが無い。
(かといって、大時君に直接聞けるわけないしー)
真帆はただただ、首をかしげるだけだった。
2へ続く
2007年4月19日初版